共楽遊園の石碑からの写真です。

すぐ下には天寧寺の三重の塔があります。


 
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千光寺山荘の本館が昭和37年の6月に完成した後
昭和38年12月に離れの「森の家」「湯の家」
「松の家」「小菊」を新築。昭和42年に「文化」
昭和47年8月に「新館」平成元年6月に
「湯の家」を解体しその後に「合宿施設」
を新築しました。
これらの離れは、傾斜地を活用した新築でした。
そのため、お客様の移動距離も長く建築後年数も経つので
本館を撤去して新築する必要性が出てきました。

 
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金尾 馨が土地の購入を決意して
友人であった向井兼松さんの仲立ちで
土地所有者のN建設と売買の交渉を
進め昭和30年2月1日売買が整いました。

資金は商工組合中央金庫から広島県鋼船海運
協同組合からの転貸融資を受けています。

整地工事を開始したところ大きな岩がたくさん出て
これを敷地の石垣や生垣の石垣に利用しました。





 
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千光寺山荘の敷地の住所は昔は字天狗松でした。
財間デジタル文庫によりますと、
今から230年前の安永の屏風の西側に描かれていますが
今の土堂小学校の上あたり、持光寺の上あたりに
大きな天狗岩がありその側に天狗松があります。
今は天狗岩も天狗松もありませんが、
地名になって残っています。

土地の所有者はもともとは持光寺でそれから農林省
明治24年から民間に払い下げられ昭和31年頃には
山林を広場に整地し、ろばを3,4頭飼っていて、
観光客を乗せて廻っていたそうです。
昭和26年から29年には自衛隊による登山観光道路ができ
昭和29年にはトンネル(白雲洞)も出来ています。


 
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千光寺山荘は昭和37年に瀬戸内海国立公園
千光寺山(137メートル)に建築されました。
建設当時の写真です。

建物の配置は山側に大広間、東側に大風呂
南側に客室の配置で、現在のほぼ同じ配置です。
すっきりとした屋根の線で山の中にある別荘という
名称です。
設計は小西建築設計事務所です。

対岸の向島の山側はほとんど開発されていません。
テレビ塔もないしまだ平地も空き地が多い。


 
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