4.千光寺公園の開発工事

 千光寺における囲碁の会で、三木半左衛門の提案が参加者の方々の賛同を得たことから、一同を代表し、尾道町内で手広く酒類販売を営んでいた土屋清三郎が当時の尾道町熊谷孝平町長に、千光寺公園の開発について相談したところ、尾道町長から「それは、尾道町にも尾道町民にとっても大変良いことだ。是非、実現してほしい。」との賛意を得たのでした。
 
 そこで囲碁の会のメンバーは、何度も集まって協議した結果、尾道町の豪商であった橋本吉次郎、同じく土屋清三郎、千光寺の檀家総代の平田長七、提案者の三木半左衛門等9名を発起人として選出致しました。さらに世話係を壬生萬蔵氏等7名にお願いすることと致しました。
 
 工事には当然のことながら、お金が必要であります。その為に発起人を中心に相談した結果、寄付金を集め、そのお金で工事を行なうこととし、発起人9名、世話人7名が連記して広く寄付金を集めることとなりました。一方、工事をすすめる体制を次の通り決めました。

・全体を取り締まる総裁 橋本吉次郎
・工事担当の総裁 土屋清三郎
・工事担当   三木半左衛門、平田長七
・会計取まとめ者 中尾彦助
・会計担当 石橋興兵衛、倉田栄助

 そしていよいよ明治27年4月より工事に着手致しました。
具体的にはまず、(1)千光寺赤堂下の石玉垣の修理、(2)千光寺にお参りするための石段づくり、(3)千光寺の中腹あたりを削って広場をつくり、公園とする工事に取りかかったのでした。

 しかし、残念なことに明治27年7月、日清戦争が始まったことから工事に従事してくれていた職工達の大半が兵隊に行くこととなってしまい、止むなく工事を中断せざるを得なくなったのでした。
 
 そのため寄付金を集めることも、すぐ中止してしまったため、1円の寄付金もまだ集まっておらず、結果として数ヶ月間の途中までの工事代金350円が未払いの借金として残っ
てしまいました。
 
 そこで発起人9名が集まって相談し、各々一人ずつが38円(350/9=38円)ずつ出そうではないかと話し合いましたが、発起人であっても金までは出せないという意見もあっ
て、結局、話はまとまりませんでした。
 
 しかし、工事代金は支払わなければなりません。三木半左衛門は、止むを得ず一人で金策し、お盆の8月14日、全額支払ったのでした。

 三木半左衛門は、このような発起人の皆さんの事情を考えると千光寺公園や石段を完成させるためには、これからは自分が中心になって押し進めざるを得ないと悟り、一人でコツコツ寄付の募集と工事を進めておりました。

(樫本慶彦氏の著書「千光寺山頂から尾道の景色を楽しもう! 尾道千光寺公園の開発と三木半左衛門」より)

〜著者プロフィール〜
樫本慶彦。昭和17年広島県尾道市生まれ。尾道市立長江小学校、長江中学校及び広島県立尾道北高等学校を卒業。昭和40年、大阪市立大学経済学部卒業後、広島銀行へ入行。同行尾道支店に2度、通算6年間勤務し、平成7年同行己斐支店支店長を最後に退職。現在は広島市西区横川町の広川(株)に勤務。父母共に尾道市内にて元小学校教員、特に父親は教員退職後、尾道市立図書館長及び尾道市文化財保護委員を勤めていた。

千光寺山荘ホームページ

 
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