1、はじめに

 昭和43年3月26日、尾道市議会において、松谷勝尾道市長は、尾道市名誉市民条例に基づき、平山角左衛門、山口玄洞そして、三木半左衛門の3名を尾道市名誉市民として選定し、推薦しております。

 選定にあたって、松谷市長は「尾道市民の各位が広く、その業績を認めておられる方であり、さらに今後もその人達の遺徳を偲ぶにふさわしい方々を選定した」と説明され、その中で三木半左衛門の具体的な推薦理由を「三木半左衛門、大正元年1月23日没、天保9年阿波の国に生まれ、壮年の頃、尾道に移って、商業を営んだ。千光寺公園の開発に着目し、共楽園を開き、明治35年、これを尾道市に寄付した。これが今日の千光寺公園の基となった。」と述べておられます。

 このような松谷尾道市長の推薦に基づき、尾道市議会において承認、決定された尾道市名誉市民も一人、三木半左衛門の功績を尾道市政執行100周年を迎える今日、今一度振り返って見つめ直してみたいと考えました。

 また、私が尾道市立長江小学校に通学しておりました時、夏休みには毎朝、千光寺山へ登り、先生や仲間と共に6時30分からラジオ体操をするのが一日の始めであり、帰路は千光寺公園でゆっくり遊んで帰ったものでした。

 現在は、広島市内に居住しておりますが、生まれ育った故郷尾道市と懐かしい千光寺公園を思い、何かお役に立てればと考え、調査を開始いたしました。 85 年前に亡くなられた三木半左衛門翁の生涯とその足跡をたどることは、想像以上に非常に困難な作業でありましたが、ご遺族の所持されていた日誌、資料、尾道市立図書館や金光図書館の資料、口伝等、様々な資料を調査、確認する中で少しでも信のおけるものにしたいと配慮しつつ、尾道市名誉市民推薦理由の千光寺公園の開発を中心に取りまとめてみました。

(樫本慶彦氏の著書「千光寺山頂から尾道の景色を楽しもう! 尾道千光寺公園の開発と三木半左衛門」より)

〜著者プロフィール〜
樫本慶彦。昭和17年広島県尾道市生まれ。尾道市立長江小学校、長江中学校及び広島県立尾道北高等学校を卒業。昭和40年、大阪市立大学経済学部卒業後、広島銀行へ入行。同行尾道支店に2度、通算6年間勤務し、平成7年同行己斐支店支店長を最後に退職。現在は広島市西区横川町の広川(株)に勤務。父母共に尾道市内にて元小学校教員、特に父親は教員退職後、尾道市立図書館長及び尾道市文化財保護委員を勤めていた。

千光寺山荘のホームページ

 
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