7.おわりに

 三木半左衛門が、多くの方々の協力や支援の下に大寶山(千光寺山)の中腹に建設した「尾道共楽遊園」(千光寺公園)の場所は、天寧寺三重塔の上あたりにありますが、現在では公園として使用されておらず「千光寺旧公園」と呼ばれており、その新しい活用方法について、尾道市民の方々より色々と提案されておられます。歌人の中村憲吉終焉の家もすぐ側にあります。旧公園から眺める瀬戸内海の景色は本当に素晴らしいと思います。美しい景色を眺め、楽しめる市民の憩いの場としての再活用が待たれます。

 なお、千光寺旧公園の入口付近(国道2号線から石段を297段上った位置)に菱形の石碑が建てられております。その石碑は今日もなお三木半左衛門に代わって、天寧寺三重塔を経て、尾道大橋、松永湾を臨む素晴らしい景色を眺め続けております。

 この石碑はいつ誰が建てたのか、調査したものの記録がありませんでしたが、碑文から考えると三木半左衛門が542段の石段をつくった時に建立したものと思われます。しか
し、風化のためか不鮮明な文字があり、十分判読できません。

 公園も石碑も時の経過と共に記録が失われ、忘れられ消えてゆくのでしょうか?

 昭和43年4月12日、三木半左衛門が尾道名誉市民に選定され、その表彰式が開かれた時、その記念式典に遺族として出席された三木幸子さん(三木半左衛門の孫の妻、東京都渋谷区在)は式典終了後、三木半左衛門に関する資料を散逸することなく残しておきたいと考え、取りまとめて、尾道市へ寄贈されております。尾道市教育委員会に残っている当時の受付簿には、そのことが記録されており、現在は尾道市立美術館の倉庫に静かにねむっているようです。

おわり


 最後に本編を取りまとめるにあたり、千光寺多田隆信前住職、元尾道市立図書館員、苅屋田敏治様を始め、各方面の皆様に大変お世話になりました。心より感謝しております。

参考文献
・新修尾道市史 第3巻
・三木半左衛門自叙日記(遺族 三木幸子所有)
・山陽日日新聞 三都新聞 中国新聞
・橋本吉兵衛 「海鶴堂日記」

(樫本慶彦氏の著書「千光寺山頂から尾道の景色を楽しもう! 尾道千光寺公園の開発と三木半左衛門」より)

〜著者プロフィール〜
樫本慶彦。昭和17年広島県尾道市生まれ。尾道市立長江小学校、長江中学校及び広島県立尾道北高等学校を卒業。昭和40年、大阪市立大学経済学部卒業後、広島銀行へ入行。同行尾道支店に2度、通算6年間勤務し、平成7年同行己斐支店支店長を最後に退職。現在は広島市西区横川町の広川(株)に勤務。父母共に尾道市内にて元小学校教員、特に父親は教員退職後、尾道市立図書館長及び尾道市文化財保護委員を勤めていた。

千光寺山荘ホームページ

 
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